「刃文」は技術が生み出す奇跡の芸術

「刃文」は技術が生み出す奇跡の芸術

武器としての猛々しい力強さだけでなく、宝物としての凛とした美しさを兼ね備えた日本刀。武家社会から脈々と流れていく時間の中で、日本刀は人々の畏敬の眼差しに包まれ、昔から強く愛され続けてきたのではないでしょうか。そして戦乱の世が去った今、現代に生きる私たちからも変わらずに愛され続けているののはなぜでしょうか。あなたが日本刀と向き合った時、先人たちの遺した想い、洗練された粋な魂を感じることができるでしょうか。ゆっくりと時間をかけて日本刀と向き合っていきましょう。

数年前、日本のオリンピック出場選手のユニホーム・デザインに、日本刀の刃文が描かれていたのをご存知でしょうか。「日本の魂を表現した」と説明されたそのユニホームの写真を見て驚いた方もいるのではないでしょうか、その描かれた刃文は、まさしく名刀「正宗」の刃文だったと言われています。

刃文とは不思議なもので、それは意図的に作る模様とは違い、鋼と火と水が創り出すものとされています。もし人の力が加わるとするならば、それは「間合い」のみだと言われています。鋼を火中で熱し、どの熱さで取り出し、水に入れるかという「間合い」です。適切に熱し、水に入れた瞬間に鋼が化学変化を起こし「沸」と「匂」と呼ばれる鋼の組織の結晶体が生まれるようです。肉眼でしっかり確認でき大きさの結晶体が「沸」それより細かく、見えない結晶体が「匂」と呼ばれています。刃文は、この二つの結晶体が集合してできるといいます。その原理を活用し、土の置き方によって、華やかな「丁子文」また、躍動的な「湾れ文」というように、刃文の形を自在に変化させていったと言われています。

刃文の起こりと、その発展

刃文の美しさを愛で、鑑賞するという習慣は、日本刀だけのものでなく、日本刀誕生の前に、古くから中国で行われていたと伝えられているようです。中国で製作されたか断定はできませんが、四天王寺に聖徳太子所用と伝える「丙子楓林剣」と呼ばれるものが日本に伝世しており、中国六朝時代からのものという見方があるようです。これに、唐の詩人が「吾に昆吾の剣(玉を切り鉄を削ることができるという見吾の国の名剣)あり、天子の庭に赴かんことを求む。白虹時に玉をきり、紫気夜星を干す。鍔上芙蓉動き、匝中霜雪明らかなり」という詩を遺したことから、古くから中国で刃文を愛でていたと考えられてきたようです。「鍔」は刃先を指しており、それが初咲きの芙蓉の花のようで「白虹」や「紫気」と呼ばれる宝剣の美しさを称えているというものに読めるでしょう。この刀は、直刃で沸の付いた作であり、芙蓉の花ような刃文があるということではなく、芙蓉のように柔らかで霜雪のような沸が輝くという意味で詠われているようです。

日本では、平安時代に入ると「反り」のある刀が誕生したと言われています。それを膏刀と呼び、この初期奇刀に焼かれた刃文はほとんどが直刃だと伝えられています。有名な刀工に「三条宗近」「伯香安綱」「備前友成」などが挙げられますが、その作は、直刃で少し乱れた刃文があるようです。これは意識したものではなく、自然に乱れたという刃文でしょう。それ以降、時代が進むにつれ、武士は華やかな刃文を求めるようになり、刀工の技術が向上し、多種多様な刃文が生まれたのだと言われています。その最たるものが、備前一文字系の「吉房」や「則房」と言えるのではないでしょうか。