延暦13年、桓武天皇により平安遷都があり、政治の中心が山城国に移った。刀剣の製作も山城国で盛んになった。蝦夷征伐、承平天慶の乱(東国での平将門の反乱。西国での藤原純友の反乱)、前九年、後三年の両役による奥州の動乱、保元平治の乱(武士の台頭)などで平安期は終始、全国的な戦乱が勃発する時代であった。故に、刀剣の需要は右肩上がりに増大した。
前半は、「大和伝」と同様に銘を刻まない刀剣が多数だったが、後期には、三条宗近のように銘を刻む刀匠が登場してくる。これらを「山城伝」と称する。
大和、山城などの畿内とは別に、古来より吉備と呼ばれた地域(岡山県)は、大和王権に服属はしたが、強固な権力者が統治し、古代より独自に政治経済文化を発展させた。
また、瀬戸内海の海運を掌握し、大和と深い結びつきを持った。吉井川流域で産出される良質な砂鉄と中国山地で生産される木炭。
これらの好条件の下、備前国(岡山県東部)の福岡や長船に優秀な刀匠達が集まって作刀を始めた。ここで製作された数々の名刀を「備前伝」と称する。平安期末から鎌倉期になると、東国武士の勢力が膨張し、他を圧倒した。
特に源頼朝が相模国鎌倉に幕府を開いたのちには、全国各地の名工が鎌倉に集まり、作刀を始めた。これら相模国で作られた刀剣を「相州伝」と称する。