岡田以蔵について

岡田以蔵は土佐国土佐郡江ノ口村の郷士岡田義平の長男で生まれた。土佐郷士とは、土佐の戦国大名長宗我部氏の家臣であった武士集団で、関ヶ原後、封襲してきた山内氏の家臣を上士と呼ぶ。同じ武士階級でありながら郷士と上士では厳しい身分差別があった。父義平は、足軽として召集され海岸防備にあたるため、家族共々高知城下の新町に移住した。以蔵は、この地で一刀流の剣術道場を開業していた武市半平太の門弟となった。武市は門弟を中心にし、過激な尊王攘夷派「土佐勤王党」を立ち上げる。武市は、藩命による剣術修行として江戸出張を繰り返し、以蔵も同行した。武市は諸藩の尊王攘夷派の知己を得る一方、天誅の名のもとに佐幕派の武士、公家等を暗殺していった。もちろん、武市が直接手を汚したのではなく、以蔵が実行役であった。

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