山岡鉄舟と名刀

歴史上に名をはせる剣士たちの中には、実際には刀を抜かずとも、伝説的な存在として現代においても、若い剣士たちにとっての崇高な存在と成し得ている人々がいるようです。その伝説的な剣士の一人として挙げられるのが山岡鉄舟であります。山岡鉄舟は勝海舟とともに幕末の3舟などと称される幕臣の一人でもあります。またその優れた剣術などから「鬼鉄」などと称されその存在は刺客として恐れられていたようです。維新後は明治天皇の下で 侍従職として仕えていたようです。また、「禅」においても卓越した精神を養い、さらなる剣術への高みへと至ったとも言われているようです。彼の思想の中には「武刀」という精神があるそうです。この思想は、日本刀を用いずに相手との戦いに挑むという考えなのですが、実際に、刀をもたずに戦うのではなく刀剣を必要としないほどの崇高な立派な人間であることを目指すというような考えが元となっているようです。剣術の練習などでは、一般的な刀よりもさらに小さい刀を選び、立派な刀剣に頼らない戦い方を稽古にも用いていたようです。

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