独眼竜でも知られる伊達政宗を代表とする伊達家は、17代当主の伊達政宗が陸奥仙台藩の初代藩主で、奥羽地方を治めていたことで有名です。
その伊達政宗は脇差の日本刀、鎬藤四郎を秘蔵していました。
名刀と伝わる鎬藤四郎は徳川秀忠も所望したほどですが、政宗は豊臣秀吉に拝領した形見を理由に拒否しています。
徳川秀忠は政宗の主君ですが、政宗引いては伊達家において鎬藤四郎は特別で、主君にも譲ることができない重要な物だったことが分かります。
政宗を始めとする伊達家が鎬藤四郎を大切に守り続けてきたのは、戦を乗り越え長く繁栄する家の象徴として重要視してきたことが理由に考えられます。
伊達家の精神ともいえるこのような姿勢は、仙台から宇和島藩の伊達家にも受け継がれています。