単なる金属の筒の滑腔式ゲベール銃に対し、銃の筒の内側に溝がある施条式(ライフル)のミニエー銃では射程距離が三百メートルほどに伸びる。命中率も十倍は違うだろう。ミニエー銃は
フランスで開発されたが、日本に輸入されたのはオランダ製。幕府歩兵の装備銃であった。
蝦夷の旧幕府軍は、将軍家茂の親衛隊が装備していたイギリス製エンフィールド銃も装備して
いた。ミニエー銃の改良型で、日本ではタワーミニエー(鳥羽ミニエー)と呼んでいた。
佐賀が火薬筒と弾丸を薄紙で密着したカートリッジタイプのものを発明していた。雨にも強く、装填も早い。世界最強の火縄銃をつくった日本の匠の技術は、二百年の空白があったが幕末で活かされていた。「美しく、よく斬れる」日本刀の匠の心と技の伝統があってのことではなかろうか。
江戸幕府は、ナポレオン三世から戊辰戦争に使ってくれと、フランス製シャスポー銃を多数
(三千挺説と千挺説がある)贈与された。が、到着が間に合わず竹橋の武器庫に入ったところで、幕府は終意。非運の銃であった。後日談。このシャスポー銃を改良、参考にして村田銃の開発が行われた。