備前長舩在光(ありみつ)は、室町時代後期、備前国(現在の岡山県東部)備前伝長舩派の刀工である。 銘は、「備州長舩在光」「備州長舩藤原朝臣出雲守在光作」と切る。作刀例は僅少であるが、同時期の備前伝の刀工である右京亮勝光、左京進宗光、与三左衛門尉祐定らとならび賞されるほどの技量を誇った「末備前」の名工である。在光銘は、複数人が存在する。宗光との合作がある文明年間から明応年間の在光、 出雲守を受領した永正年間から大永年間の在光、天文年間の九郎左衛門尉在光、新次郎在光がある。「末備前」とは、応仁の乱(1467年勃発)以降、戦国時代に入り、天正十八年(1590年)吉井川の大洪水によって備前鍛冶が全滅してしまう間の123年間に作刀された備前伝を指す。作風は、刀姿は重ねがやや厚くなり、先反りが強い。刃文は、互の目が割れていわゆる蟹の爪乱れが多い。
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唯一無二の刀剣形態
日本刀の刀剣形態は、世界的に見ても他にはないと言われており、ユニークな特徴を持っているとされています。日本刀は、反りがあり、片刃で両手持ちが出来る作りです。他の国の刀を見ると、例えば古代ギリシャの時代から存在する西洋の剣は、多くの場合は左右対称で両刃で直刀の作りです。
ヨーロッパでは盾で片手を使ってしまうために、剣も基本的には片手用になっていたそうです。同じ片手剣としては、ヨーロッパにあるサーベルや、中近東のシャムシールなどがあります。
スコットランドにあるクレイモアは、日本刀以外では珍しい両手持ちのできる剣ですが、単純に斬るというよりは重さで相手を叩き斬るということを目的としています。
日本刀は刀刃のため一方向にしか振ることができませんし、軽量であるという珍しい特徴を持っているのです。
直刀と湾刀について
日本刀はよく斬れる刃物ですが、その理由のひとつに反りがついているから、ということがあります。直刀は、切ることよりも打ったり刺したりということに向いています。反りがつくことで、シンプルに切断面が長くなり、力が伝わりやすくなったのです。古代の日本では、中国大陸などから輸入された刀を使っていました。これが直刀だったので同じように作って使用していたのですが、平安時代に入ってからは湾刀(反りのついた刀)を使うようになったそうです。二種類の刀が存在するのですが、どちらか好きな方を選ぶということではなく、すべての刀に反りが付けられました。どうして全てがそうなったのか理由ははっきりしていませんが、北海道や東北の蝦夷から伝わったのではないかと言われているそうです。単純に湾刀の方が、使いやすかったのでしょう。
東京都における日本刀の歴史
江戸幕府を開き現在まで続く日本文化の中心拠点を築いた徳川家康。家康が大切にしたと言われる名刀が、「物吉貞宗(ものよしさだむね)」です。鎌倉時代に作られた重要文化財の一つです。家康が「この刀を帯びて出陣すると必ず勝利を得た」ことから、「物吉」と名付けられたと伝わっています。徳川家康の死後も代々の藩主が常に懐に携帯していたそうです。
東京都の現代刀匠といえば、吉原義人氏といえます。39歳で無鑑査刀匠、2004年(平成16年)に東京都指定無形文化財保持者に認定されています。吉原氏は備前伝を得意として、スマートで流れるようなシルエットを描いている点が特徴的です。光沢もまた一点の曇りもない計算された透明感をたずさえており、その明確さがポイントとなっています。後進の育成にも注力していることで知られる人物です。
刀装具とは
日本刀は今や日本の文化として、海外にも人気ですが、実は、日本刀は刀のみでできているわけでなく、刀の部分を守るために、様々なものが付属しています。それが、刀装具です。
刀装具は、刀剣が傷つかないように、補強するための道具として作られており、それだけでなく、見た目の美しさも兼ね備えています。よく知られている刀装具としては、鍔や柄、鞘などがあります。
鍔は、刀身と柄の間につけられている金属の輪っかのようなもので、相手と斬り合いになったときに、自分の手を守るためにつけられています。鍔迫り合いという言葉がありますが、それはこの鍔が由来となっています。
他に、鎺というものがあります。鎺は、刀身が何らかの拍子に鞘から抜けないようにするためのもので、鍔と刀身の間にある金属のことです。紋様が描かれることもあるため、美術的にも意味のある部品となっています。
様々な刀装具について知り、日本刀をより楽しみましょう。
日本刀の目貫の図柄
目貫は、元々は単なる日本刀の部品の一つであったのですが、そのうちにその装飾性が評価されるようになり、刀工の手によって、その美術性がどんどん高められていきました。その中で、たくさんの種類の図柄の目貫が作られていきました。
図柄それぞれに異なる思いが込められており、たとえば弓矢図は、強くありたい、という思いが込められていたり、清正公図、俵藤太図は、それぞれ清正公と俵藤太の伝説が象られており、この目貫を使用することで、清正公と俵藤太に近づきたいという思いがあったと言われています。
また、伝統芸能をかたどったような目貫もたくさん作られました。翁面をかたどった翁面図、般若をかたどった般若面図、獅子舞をかたどった越後獅子図などが代表的です。
さらに、動物や植物も目貫になることがあり、桃図は邪気を払う、燕子花図は文化的な彩りなどの意味合いが合ったと言われています。
日本刀の偽物を見分けるポイント
どんな美術品や骨董品にも偽物は存在します。日本刀にも偽物が存在していて、出回っています。日本刀を手に入れたいと思っている場合も、買取を依頼しようと考えている場合も偽物を買ったり、売ったりしないように注意が必要です。
偽物を見分けるいくつかのポイントを知っておくのは有益です。まず鑑定書があるかどうかは大きなポイントです。しかも信頼されているところから発行されていることが重要です。日本美術刀剣保存協会が発行したものは信頼がおけます。
次のポイントは、銘と呼ばれる刀工の文字の刻み方です。筆跡にその人の癖があるように、銘の刻み方に刀工の癖が生じます。偽物は不自然な形で刻まれていることが多いです。きれいに刻まれていない、線が細かったりむらがあったりします。偽物を見分けるには。本物を知っていないと見分けることができません。
刀における樋とは何か
日本刀の刀身に細長い溝が彫られていることを知っていますか。その溝のことを樋と呼んでいます。樋とは、どのような役割があるものか気になるという方もいるでしょう。しかし細長い溝が彫られている正確な理由は、史料が見つかっていないため明らかになっていません。刀身の強度を低下させずに軽くするためもしくは、見栄えをよくするため、風切りの音を出やすくするためなどの説があります。また刀身に樋があると見栄えが良いと考えて、そちらの日本刀のほうが好きという刀剣ファンも多く見られます。樋にもいくつかの種類があるため、役割について考えるだけではなく、種類や見た目の違いも含めて考えていくようにしましょう。自分が好きな溝を探してみることも可能です。
岡田以蔵について
岡田以蔵は土佐国土佐郡江ノ口村の郷士岡田義平の長男で生まれた。土佐郷士とは、土佐の戦国大名長宗我部氏の家臣であった武士集団で、関ヶ原後、封襲してきた山内氏の家臣を上士と呼ぶ。同じ武士階級でありながら郷士と上士では厳しい身分差別があった。父義平は、足軽として召集され海岸防備にあたるため、家族共々高知城下の新町に移住した。以蔵は、この地で一刀流の剣術道場を開業していた武市半平太の門弟となった。武市は門弟を中心にし、過激な尊王攘夷派「土佐勤王党」を立ち上げる。武市は、藩命による剣術修行として江戸出張を繰り返し、以蔵も同行した。武市は諸藩の尊王攘夷派の知己を得る一方、天誅の名のもとに佐幕派の武士、公家等を暗殺していった。もちろん、武市が直接手を汚したのではなく、以蔵が実行役であった。
日本刀の短刀の特徴を知っておきたい
日本刀の短刀の特徴は、日本刀では刀身の長さ一尺以下になっており、太刀や脇差などに比べると刃のそりが少ないです。
日本では短刀は古くから、子供や女性でも扱える護身用として使われてきました。
日本刀は繊細で美しいデザインが多いので骨董品、美術品としても価値があるため、多くのコレクションが存在しています。
インターネット通販の専門店、実店舗などでは、太刀や脇差などに比べるとリーズナブルな価格で販売されています。
近くに専門店が少ない場合はインターネット通販の専門店を利用すると、室町時代から江戸時代までの短刀を購入することができます。
デザイン性に優れており、コンパクトな形状なので愛好家には根強い人気があります。